ふあんふりーを開設して、1カ月半が経過しました。立上げ人であり編集長の私・こばが思うことを不定期にコラム「ふあんよ飛んでいけ~」としてお伝えしたいと思います。
第1回目は、昨年世界性の健康学会から提唱された「セクシュアル・プレジャー宣言」についてです。学会と言っても、そんなに堅苦しい話をするつもりはないのでご安心を。
目次
セクシュアル・プレジャーという考え方が宣言にまとめられた
ふあんふりーが大切にしている「性の健康」という考え方があります。この「性の健康」とともに「セクシュアル・プレジャー(性的な快楽・喜び・楽しみ)」を大切にしていこうということが、昨年「セクシュアル・プレジャー宣言」として打ち出されました。
セクシュアル・プレジャーは、性科学の知識、安心・安全にセックスできる環境、自分を尊重し、違いや価値観を認めてくれる相手、コミュニケーションが十分にとれ、性的同意ができる関係性。それらがすべてそろっていなければ、性的な快楽や喜びは得られないということなのです。
先日の世界性の健康デーのイベントでは、性教育を研究する登壇者たちから、「これからはプレジャーがセンターにくる/基盤になる性教育が必要なのではないか」という声が上がりました。
セックスで痛い人はセクシュアル・プレジャーを保障されていない
もう涙が出るくらいうれしかった。
なぜなら、セックスで痛い人にはほとんど保障されてこなかったことが、セクシュアル・プレジャー宣言に盛り込まれていたからです。
私はこういう状況をよく耳にするのです。
できないことを非難される
セックスが痛くてできないと周囲からは「パートナーに浮気されるよ」「逃げちゃうよ」、パートナーからは「しないなら浮気する」など、脅しのような言葉を受ける。
主導権が相手に
痛い後ろめたさから、コンドームを付けて欲しい、体位を変えて欲しいなどの要望を伝えられない。
相手を喜ばせるプレッシャー
セックスは痛いし苦痛だけど、相手に喜んで貰いたいから我慢して受け入れる。
このように、セクシュアル・プレジャー(性的な喜び)は、セックスで痛い人には程遠い存在でした。痛むことで、罪悪感を持ち、主体的に生きれず、自分を肯定する力が下がってしまうのです。
当事者が思うパートナーへの期待
セックスで痛いことを受け入れ、どうして痛いのか耳を傾けてほしい。痛いことを尊重し、それを違いとして認めてほしい。痛くないように確認しながら触れ、痛いことや怖いと感じることをしないでほしい。痛みに加えて性感染症にまでなるのは辛いから、安全で安心できるセックスのためにコンドームを使ってほしい。性器に触れる手は清潔にするなどの配慮をしてほしい。この状況に一緒に向き合い、気持ちのいい場所をお互いに探求し合い、共に喜び楽しいセックスをしたい。そう望んでいるのです。
セクシュアル・プレジャーで痛みのあるセックスにサヨナラ
セクシュアル・プレジャーの考え方がこれからの性教育に盛り込まれ、この考え方がセックスのなかで活かされれば、ふたりで痛くないセックスのための工夫をしたり、挿入で痛いなら挿入しなくていいセックスを自然と考えたりするでしょう。そうすれば、心身の病気の有無に関わらず痛くて苦痛なセックスが存在しなくなるのではないでしょうか。
セクシュアル・プレジャー宣言日本語訳はこちら