対談シリーズ第5回 性の健康は、あなたがどうしたいかで決まる

ふあんふりーは、性交痛(性交時の痛み)を健康問題と捉えています。その背景にあるのは「性の健康」という考え方。では、性の健康とは何なのでしょうか?

本サイトの医療総監修者であり、「世界性の健康学会」や「日本性科学会」等でも活躍している産婦人科専門医である早乙女智子先生にお話を伺う対談シリーズの第5回。
(聞き手:思春期の性の諸問題に向き合い、同じく「世界性の健康学会」等にも参加してきた性の健康イニシアチブ・柳田正芳。ふあんふりー運営者のひとりでもあります)

こちらの記事の基になった、この対談。
上記記事では書ききれなかったお話を、コラムとして連載していきます。今回は、性の健康を推進する「コミュニケーション」と「自分のことは自分で決める」のお話です。
前回の記事はこちら

性の健康は日頃のコミュニケーションから

柳田

「人間の性は懐が深くて豊か」と言い続けている意図のひとつに、「べき論」で考えてしまっている人に向けて「こうじゃなきゃいけない」と思う必要はないですよと伝えたい、というのがあります。「これが普通」なんてものはないので、自分の在り方をそのまま受け入れられたら楽になる人は多いだろうと思います。

早乙女

そうだと思います。「べき論」で考えてしまうかどうかは前提となる知識や生育歴も関係しますが、どんな人も堂々と「自分はこうだ」っていうものを受け入れられたらいいですよね。それこそ、痛くてセックスできない自分に罪悪感を覚える必要もありません。

柳田

そうなんですよ。性交痛で悩んでいる人にも「こうじゃなきゃいけない」と思う必要はないですよと伝えたいです。そして「これが普通」なんてものはないというのは、カップル間のセックスの場面でも同じだと思っていまして、「お互いが了解をしていて嫌な気持ちになっていない」「安全が確保されている」「関係ない第三者に迷惑をかけることがない」という前提さえ揃っていれば、あとはそのカップル間でどんなことでも自由に楽しんだらいいと思うんです。

早乙女

その前提、すごく大事だと思うのだけれど、分からない人もいるかもしれないですね。「お互いが了解している」というのは、「お互いが今セックスすることについてOKと思っている」「どんなことをされたら嬉しいか、されたら嫌なのかについて理解し合えている」というような、「同意が取れている状態」のことを言っているのだと思うけど、嫌よ嫌よも好きのうちという言葉を思い浮かべて「女がNOと言っているのはYESの証だ」と思ってしまう人が出てくるかもしれません。いやいや、NOはNOでしょって話なんですけどね。また、何を性的なものと感じるのか、何が嫌なのかも個人差がありますよね。日頃からのコミュニケーションがあることでお互いにそういう話を伝えやすくなるし、伝えてもらったことを受け取りやすくなるんだと思います。

柳田

そうですね。日常のなかできちんと話をして自分の考えを伝え合う習慣と伝えられたことを尊重する習慣が、性の健康にもつながってくるという話ですよね。

早乙女

そうです。性の話は日常のあちこちに関係しています。普段気づかれなかったり見過ごされたりすることが多いですが。だから、色々な形でそのつながりに気付いてもらえるような発信がなされるといいですよね。ふあんふりーのようなサイトはまさにそのひとつだと思います。

柳田

ありがとうございます。

カップルコミュニケーションの先に子育てがある

早乙女

ところで、日常のコミュニケーションとカップルの性の健康という話でいえば、「セックス以外はうまくいってるんですよ」というカップルが性の相談に多く訪れるのは面白いなと思っています。

柳田

そうなんですね。

早乙女

そういうカップルは「子どもがほしいけど出来なくて困ってます」と悩んでいたりします。もちろん「セックス=生殖」ではないし、生殖をゴールとも言い切れないんだけど、そういって悩むカップルの相談を受けることはよくあります。

柳田

早乙女先生はそういうカップルにどのように対応するんですか?

早乙女

「日本語が通じる大人同士で、コミュニケーションはできないけれども子どもは育てられるんですか?」「赤ちゃんが泣いている時にどうすると気持ちよくてどうすると嫌かっていうのは、どうすると分かるんですか?それを試す相手がいるんだったらまずやってみませんか?」「そういう事柄は全部つながっていて、ポーンと子どもが産まれて親になったから子育てできますじゃなくて、誰かを愛おしく思ったり安心させたり心地よくしたりさせたり、それに対してお返しをしたりしてもらったりという先に、子どもが生まれ、子どものことができたりするんじゃないですかね」という話をしてますね。

柳田

相手を愛おしく思って、言葉でもそれ以外でもコミュニケーションを取ったり触れ合ったりする。だから子どもができて、そして子どもの世話ができるようになる。そうだなって思うことばっかりですね。

早乙女

でも頑なな人は「いや、妊娠さえすれば私は育てられると思います」という人もいますよ。あるいは「何かを入れるのは嫌だけど出すのは大丈夫です。だって生理の血は出てるので」と言ってきたり。そういうやり取りの難しさを感じながら性の相談をやっています。

どうしたらいいですか、ではなく、どうしたいですか

柳田

日々のコミュニケーションと同じくらい、「自分のことを自分で決める」ことって大事ですよね。

早乙女

今年(2020年)に入ってからYouTubeを始めたんです。そうすると今自分が置かれている状況を直視するようになるんですよ。動画の中で何度も「向き合って」と言ってしまっているし、自分が向き合わないわけにはいかないですから。今どういう状況なのかを自分で把握して、それでいいと思ってるのか変わりたい・変えたいのか。それは自分しか分からないことです。どうしたらいいですか?なんて質問されても、それはあなたが考えて決めることですよって話だし、そうこう言っているうちに自分やパートナーの命が尽きてしまうとか性的な関係がなくなってしまうということも起こるかもしれない。だからセックスも、これが人生最後のセックスかもしれないって思った時に、痛いセックスをしている場合じゃないんですよね。

柳田

「どうしたらいいですか?はあなたが考えて決めること」という話は本当に大事な心がまえだと思うんですけど、どうすればいい?って聞いてくる人多くないですか?

早乙女

普通の婦人科外来をやっていても、「どうするべきですか」と聞いてくる人は多いですよ。そういう時は「どうしたいですか?」って聞き返してます。そうすると「こうすればいいですかね?」と返ってくるので、「そうしたいですか?」ってまた聞き返す。それをしばらくやってると段々分かってくるみたいです。一方で、3割くらいの人は何したいかが分からないと言うんです。それは生きるのつらいですよね。

性は当たり前にそこにあるものという感覚を取り戻そう

柳田

ここでも「どうするべきですか」という言葉が登場しましたね。さっき「性は豊かで懐が深い。だからどんなものも受け入れてくれる」という話の中で、「べき論」に縛られなくていいって話になりましたけど、「どうするべきですか」と尋ねてしまう人はやっぱり多いですよね。でも、本当に自分の性の健康を追求するときに大事なのは「どうしたいかを自分で決める」ということだと思うんです。つまり、性の豊かさ・懐深さと、自分で自分のことを決めることは表裏一体の関係にあるというか。

早乙女

そうですね。その通りだと思います。そして性の豊かさは、人生の豊かさだったり心の豊かさだったり、あまりに当たり前にあるべきものだと思うのだけど、それが語りの中からも意識の中からも排除されたりしていますよね。

柳田

「性の話は当たり前にそこにあるもの」という感覚がそもそもないんでしょうかね。

早乙女

その感覚、取り戻してほしいですね。食欲、睡眠欲とともに性欲も生物の基本的欲求で恥ずかしいことはないですから。

医療総監修 早乙女智子
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ふあんふりー編集部
ふあんふりー編集部FuanFree
WHOなどの国際機関が定める「性の健康」の概念に着目し、私たちの編集部は「痛みのない、喜びのある性生活のためにー」をモットーに掲げています。総医療監修の医師をはじめ各方面の専門家との協力を通じて、性交痛に関する信頼性の高い情報を提供しています。私たちは性の健康に対する理解を深め、読者が充実した性生活を享受できるよう、包括的で専門的なコンテンツをお届けしています。