対談シリーズ第4回 性の健康を進めるには当事者意識も必要

性の健康を進めるには当事者意識も必要

ふあんふりーは、性交痛(性交時の痛み)を健康問題と捉えています。その背景にあるのは「性の健康」という考え方。では、性の健康とは何なのでしょうか?

本サイトの医療総監修者であり、「世界性の健康学会」や「日本性科学会」等でも活躍している産婦人科専門医である早乙女智子先生にお話を伺う対談シリーズの第4回。
(聞き手:思春期の性の諸問題に向き合い、同じく「世界性の健康学会」等にも参加してきた性の健康イニシアチブ・柳田正芳。ふあんふりー運営者のひとりでもあります)

こちらの記事の基になった、この対談。
上記記事では書ききれなかったお話を、コラムとして連載していきます。今回は、性の健康と当事者意識のお話です。
前回の記事はこちら

性は豊かで懐が深い

柳田

「性の三要素」と呼ばれる考え方がありますよね。よくできた考え方だと思っています。なかでも、「連帯性」の考え方はすごく人間らしいと思います。人間関係やコミュニケーションにも性が関係するのだということが分かって、性は生きるうえで不可欠なものなんだと実感します。

編集部note

性の三要素

人間の性には三つの要素があると言われています。要素というのはこの場合、側面や役割と言い換えてもいいでしょう。

「生殖性」
生殖(赤ちゃんを作って次の世代を育むこと)をするための性という側面

「快楽性」
快楽を追求するための性という側面

「連帯性」
相手とのつながりを確かめることでやすらぎや安心感を得るという性の側面

これら3つが複合的に絡み合って人間の性は成立していると考えられています。
生殖は人間の性の重要な側面のひとつですが、生殖だけが性の側面ではありません。誰かとのつながりを確かめて安らぎや安心を得るというのも人間の性においてはとても大事な側面なのです。

早乙女

ひとりでするセルフプレジャーはもちろんいいけれど、思いがけなさや自分が思っていたのよりも深い愛情が加わったタッチングやハグを経験できると、その相手との結びつきや安心感、一緒にいる喜びを自然と感じることができますよね。

柳田

そう思います。そして愛情や安心感、一緒にいる喜びを伝え合う際には、色々な触れ合い方や伝え方があっていいと思うんです。お互いが了解をしていて嫌な気持ちにならないのならば、どんな触れ合い方もどんな関係性の結び方もありなんだろうと思います。そういう「何でも自分で選んでいいよ。何でもOKだよ」というところに、性の豊かさや懐の深さを感じます。

早乙女

そうですね。どうしなきゃいけないかではなく、どうしたいかに目を向けて、自分と自分に関わる人が一番しっくり来るのはどういうことなのかを突き詰めていけたらいいですよね。

こうじゃなきゃいけないという思い込みをしている人もいる

柳田

それだけ豊かで懐が深いのが人間の性だと思う一方で、「こうじゃなきゃいけない」という想いにがんじがらめに縛られてしまっている人もいます。

早乙女

外来で患者さんの話を聴いていても、「こうじゃなきゃいけない」という思い込みをしている人は多いです。でも「誰かにそう言われたの?」と聞くと、言われてない人のほうが多いんですよ。おそらく周囲から無言の態度で示されているのではないかと思います。そういう話をした時に嫌な顔をされたとか急に話題を変えられたとか。性のことは暗黙のうちに抑え込まれてしまう可能性が最も高い話題のひとつではないでしょうか。食べ物で例えますが、「プリン買ってきて」と誰かに頼んだ時に「え、プリンですか?」と言われて否定された気持ちになるようなことが、性の話題では起こりやすい。もともと性の話は人を選ぶものですし。それをずっと繰り返している間に自分らしさも自分がどうしたいのかもわからなくなってしまうのではないかと思います。

柳田

繰り返し「プリン買ってきて」と頼むなかで、怒られない、否定されないという経験を繰り返して初めて、「プリン買ってきて」と言ってもいいんだと理解できます。それを思うと子どもの頃から何を経験して積み上げてきたかも重要になりますね。

早乙女

たしかに。そういう意味では小さいころからの性教育は大事ですね。ただそのときに人権教育が伴っていないと意味がないようにも思います。人権感覚や人権教育というものについて理解が腹落ちしていない人も日本の大人には多いのではないでしょうか。

柳田

人権の感覚を持つことは、自分の人生を、当事者意識を持って、自分で責任を持って生きることにつながるように感じます。そのことは「自分はどうしたいか」を大事にすることともつながっていて、性の健康を守ることにも続いていきますよね。

「産みたいように産むお産」から当事者意識が芽生える

早乙女

やはり私は産むところからだと思うんです。究極のオーガズムという出産経験をしたお母さんとそうではないお母さんはやっぱり違います。だから出産のオーガズムを奪わない分娩介助や妊婦検診が必要なのですが、それはなかなか厳しくって。本当に「会陰切開はおせっかい」ということをすべての産婦人科医や助産師さんに知ってほしいと思っているのですが、なかなか分かってもらえない現実があります。会陰なんてプライベートゾーンの究極の場所です。それを了解なく触ったり無造作に切ったりするのってどういうこと?と思うのですが。

柳田

早乙女先生がよく言われる「究極のオーガズムという出産経験」というお話。産婦さん自身が自分のペースで自分の産みたいように産むことを一番大事なこととして考えていらっしゃると理解しています。でも現実にはその「自分のペース」が侵害されているから、「出産のオーガズムを奪わない分娩介助や妊婦検診」というお話になるのですよね?

早乙女

そうですね。

柳田

ありがとうございます。また会陰切開の話は、医師の中にも様々な考えを持っている方がいることが分かります。早乙女先生のように「会陰切開はおせっかい」と繰り返し、出産するご本人のことを真っ先に考える方や、産科医療のセオリー通りに会陰切開をためらわない方。医師は皆同じではなく、医師にも多様性があるのですね。

早乙女

そうですね。ほかにも、産婦さんの5人に1人が経験する帝王切開の時に「どうせもう子ども産んだんだし誰に見せることもないじゃないか」と言わんばかりに切開して傷跡のことには無頓着な医師もいますけど、とんでもないと思うんですよ。毎日自分で見ますし、セックスの時には夫にも見られますし、そのたびに帝王切開を思い出さないといけないってどういうことなんでしょうか?

柳田

早乙女先生の言葉を借りるなら「出産のオーガズムを奪わない分娩介助や妊婦検診」を医療者が提供して、産婦さんやその家族が主体的に関わって自分事として考えられるお産がいい。早乙女先生もそこを目指していらっしゃるのだと思います。でも、現実的にはなかなかそれが難しい事情もあって、実現できない。そこに葛藤している医療者の方も多いだろうと思いました。

早乙女

そうですね。本当に色々なことが現場では起こっていますし、現場にいる医療者の考えも様々です。だからこそ、医療者に「会陰切開はおせっかい」と言い続けています。

柳田

「医療者も様々」という言葉が意外に聞こえる方もいるかもしれませんが、そこはけっこう大事なポイントだと感じます。何でも病院で言われた通りにするだけではなく、「自分はこう思うんですが」と伝えてみることも時には必要なんじゃないかと。ただ、それを言って聞いてもらえるかはまた別なので、自分と相性のいい、話を聞いてもらえる医師に巡り合えるかどうかが大事で、だとすると、患者さんの立場からすれば、自ら知識を獲得すること、それを使って自分の健康を守れるようになること、そういうことを理解して取り組んでくれる医療者を自ら選ぶことが大事なポイントになるわけですね。結局のところ、医療とつながる場面でも、当事者意識を持って「自分はどうしたいか」を大事にすることが必要なんですね。

早乙女

そう思います。そしてそういうことを理解して患者さんたちと話ができる医療者が増えることも同時に大事です。

概念は時代とともに変わる言葉

柳田

自分で自分の性の健康を守ることだけでなく、他人の性の健康を自分が侵害していないかということもいつも頭に入れておかないといけないですね。自分のことも他人のことも自分事として考えられる、究極の当事者意識みたいなものが大事なんだと改めて思います。

早乙女

以前あるタレントが性に関する発言で叩かれた時に、別のタレントが「そういう考えはアップデートしていかないといけないんだよ」と発言していてすごいと思ったんです。去年・おととしはみんながなんか嫌だと感じていても言語化できなかった、でも今年は言語化された、法制化されたとなればそれはアップデートしないといけないです。概念は時代で変わっていくのですから。

柳田

性に限らずどんなことでも、一生学び、一生アップデートというところはありますが、性の話題は昨今特に急に日本社会の中で飛び交う情報の量が増えたりそれに伴って価値観が変わっていったりする兆しを感じますから、乗り遅れないようについていかないといけないですよね。そうでないと、旧来的な価値観で知らずに誰かを傷つけてしまったりすることもあると思います。価値観をきちんと自分の中で確立させることと、自分のことも他人のことも当事者感覚を持って大事にすることが「性の健康を守る」ことにつながると思いました。

早乙女

まさにその通りですね。性に関連したことを考えて扱っていく哲学、「性哲学」が必要なんじゃないかと思います。「性哲学」なのか「性倫理学」なのか、名称は色々考えられるところですが、倫理観や生き様はどんどん変わっていて、常にアップデートすることが求められていますから。

柳田

時代に応じた考え方を自分の中に取り込んで、自分のことも他人のことも傷つけず尊重するために性に関する哲学「性哲学」が必要という考え方、すごくしっくりきます。

早乙女

そうでしょう。日本では「性哲学」という言葉は一般的ではないですが、海外では1970年代にこの言葉を使った性科学者がいました。さらにいえば、性のことは自分のことだけではなく、自分が子どもを持って、子どもの性のことが関わってきたときにどういう教育ができるのかというところでつまずく人も多いのではないでしょうか。なぜつまずくかというと、自分を肯定できないから。人間は必ずしも「正解」の道だけを通って生きているわけではないですが、さっき話題に出た「正解」や「こうあるべき」を求めてしまうと、自分は子どものお手本になり得ないと思えてしまう。正解はこうなんだけど自分は違う!となってしまうと、その時点で何も言えなくなって口をつぐまなきゃいけなくなっちゃうんだと思うんですよ。でも私は以前から「エロオヤジはエロオヤジとして堂々としてろ」と言ってます。自分の姿や在り方をきちんと肯定して、という意味です。性の懐の深さってそういうことだと思います。


今回は性の健康と当事者意識のお話でした。次回は性の健康と日常のコミュニケーションに関するお話です。
医療総監修 早乙女智子
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WHOなどの国際機関が定める「性の健康」の概念に着目し、私たちの編集部は「痛みのない、喜びのある性生活のためにー」をモットーに掲げています。総医療監修の医師をはじめ各方面の専門家との協力を通じて、性交痛に関する信頼性の高い情報を提供しています。私たちは性の健康に対する理解を深め、読者が充実した性生活を享受できるよう、包括的で専門的なコンテンツをお届けしています。