性に携わる人が知っておきたい、日本の性科学の話

第4弾のドクター訪問記は当事者向けのお話でしたが、日本の性科学の先頭を歩かれる大川先生ならではの、専門家が読んでも示唆や気付きを得られる視点が多く含まれていました。性に関する活動や教育に携わる方なら、大なり小なり気づいている「日本には性科学が不在」問題。今回は、大川先生が語る、日本の性科学の現実とこれからの希望を、ドクター訪問記番外編Vol.4としてお伝えします。

目次

今回お話を伺った先生

日本産科婦人科学会専門医 大川 玲子(おおかわ れいこ)先生

千葉きぼーるクリニック国立病院機構千葉医療センター婦人科医師
日本産科婦人科学会専門医
日本性科学会理事
日本性科学会認定セックス・セラピスト
NPO法人千葉性暴力被害支援センターちさと 理事長

人と交流し、関係を結ぶことが好きです。また自分を抑圧せず楽しく生きたい。それが社会的な正義(と思えることと)と一致できるように研鑽を積み、行動や仕事に生かせるように、ささやかな努力をしていきたいと思っています。

【略歴】
1972年、千葉大学医学部卒業。同大助手、国立病院機構千葉医療センター(旧国立千葉病院)産婦人科医長などを経て、2013年(定年後)から現職。
専門は、産婦人科一般の他、思春期・更年期医学、婦人科心身医学、性医学。
2019年、性の健康世界学会(World Association for Sexual Health)ゴールドメダル賞受賞

【著書】
・愛せない理由/法研 1998
・バーマン姉妹のWomen Only/小学館 監訳 2004
・セックス・セラピー 入門/金原出版 2018 (共著)
・中高年のための 性生活の知恵/アチーブメント出版 2019(共著)

【論文】
・日本性科学会と関連国際学会の歩み/日本性科学会雑誌 Vol.39(1):12-17
・婦人科医師のセックス・セラピー30年を振り返る/日本性科学会雑誌 Vol.39(2):21-23

2012年アジアオセアニア性科学学会にて
(懇親会での役員達)
2019年 性の健康世界学会(WAS)でDr. Whippleと
2019年性の健康世界学会メキシコ大会でいただいたゴールドメダル
編集部メモ

大川先生は、日本性科学会の理事長を14年間務め、現在も同学会の理事をされています。同学会は1979年に日本セックス・カウンセラー・セラピスト協会(JASCT)として設立しました(1995年に日本性科学会に改称)。大川先生は草創期からこの団体に関わっていらっしゃるほか、国際学会である性の健康世界学会(WAS)の役員(1997~2009年)やアジア・オセアニア性科学学会(AOFS)の会長(2012~2014年)なども歴任され、性科学やセックス・セラピーの領域で、国内外で多年にわたり活躍されています。

日本性科学会の前身である日本セックス・カウンセラー・セラピスト協会(JASCT)の初期から性科学の道を歩まれていますが、まだ性に関することがほとんど注目されない中、先生が性科学を志した理由はなんだったのでしょうか。

子供の頃から疑問に思ったことが影響していますね。なぜ私の弟は東大に行くプレッシャーがかかったのに、私にはかからなかったのか、など性差別に関する疑問をすごく持ちました。そう思えたのは、基本的に両親は「男でも女でも勉強は大切」という態度でしたし、私たち団塊の世代はかなり徹底した民主主義教育を受けたから、と思います。しかし性差については保守的な価値観が強く残っていたし、中でも性に関する事柄が、最も差別的だということがはっきりしてきたので、「男女不平等の根っこはセックスにある」と確信しました。今でも残念ながらそれは変わらないですね。

私たちが若い頃の結婚観といえば、セックスは結婚してから、なんていう時代でした。そういう時代に処女喪失とか凄いことだったんですよ。「初体験」「一線を越える」なんて言葉があって。でもそれってやっぱり女にかかってくることじゃないですか。

「女の人の最初のセックスは処女膜がバリンと破れて血が出る、それがすごく痛い」という話は、学校では全然教わらないのにみんな知っていて、なんかすごい緊張とともに最初の体験をしたんじゃないかと思うんですね。その裏には「結婚するまでセックスをしてはいけない」ひいては「セックスはいけない、汚らしいことだ」とか、オーガズムは「失神するものだ」とか、男性のセクシュアリティについて「男は性欲を我慢できない」「私のそばにいれば彼はいつも欲情するもの」と言った誤解が、様々な混乱を招いていました。現在でもそのあたりを正確に理解してない人もいると思います。そういったことに、科学的に正しいことを、医師という専門家として答えてあげたいと思ったんですね。だから男女平等とセクシュアリティはすごく私の中で繋がっているんです。そういう意味では初志貫徹でここまで来ています。

21世紀が始まって20年くらい経ちましたが、性に関する科学的調査や研究は今どのような状況なのでしょうか?

このところ世界の性科学は目覚しく発展している、と言ってもいいと思います。特に男性の性機能に関してはそう言えます。性別に関する考え方は、むしろ目まぐるしく変わっていると感じます。性科学は医学、心理学、社会学など多分野が関わるものだし、文化、政治の影響も大きいので、一概にどの国が進んでいるとは言いにくいです。初めにお話ししたように、セクシュアリティの問題は性差別と密接です。そういう意味では私も関わっているWASが、早くから「性の健康」という概念を提唱しているのは先進的だと思います。「性の健康」で大事なことは、全ての人に「性の権利」があること、ジェンダーの平等が不可欠であること、あるいは「性の喜び」が性の健康に大事であること、などが含まれていて、性機能も重要だがそれだけではない、としています。ジェンダーに根ざした、人権や関係性への理解という点では、北欧やオーストラリアなどが進んでいると感じます。例えば、アメリカは医学では先進的と言えるし、「性の健康」など素晴らしい概念を提唱する底力を持っていますが、それが広く浸透しているわけではなく、男女平等もそれほど進んでいるとは言えないところがあります。インドはカーマスートラの国なので、セックスをポジティブに捉えているか、というと、男女全ての人の健康という点で進んでいるわけではありません。

日本の状況は決して楽観できません。例えばネット調査などは積極的な人が回答を寄せてくれますが、全体的にはまだタブー感が強いと思います。日本性科学会のセクシュアリティ研究会というグループで(代表;荒木乳根子、大川も参加)「中高年のセクシュアリティ調査」をしました。シニア世代の男女がセックスについてどういう考え方をしているか、性行動についても細かいことを聞いている、とても良い調査研究だと思いますが、調査協力してもらうのが一番大変でした。調査票を受け取っても内容を見て断られることも多かったんです。それで実は性機能に関する調査、オーガズム、勃起、射精と言った直接的な設問はあまりできませんでした。

性科学は、近代医学がサイエンスとして発達した流れの最後、19世紀末になって、ようやく始まりました。フロイトなど、精神医学です。性医学はメンタルな問題という形でようやく医学の言葉でも語られるようになったんです。単発的な研究は昔からあったようですが、医学が取り組むには「性」は、社会的に、宗教的にタブーの大きな領域だったのですよね。最近のように身体的な性医学が発達すれば、タブー性も少なくなり皆が相談しやすくなりますが、「性の健康」のような身体・心理・社会的な健康の概念とともに発達していくことが望ましいです。
その点ではWHOが作成する国際疾病分類の最新版(ICD11)では、性に関する病態はこれまでLGBTQなどを含め精神疾患に組み込まれていたのが、「性の健康関連の障害」として、病気とは一線を画す分類になったのは、大胆な提案と思います。

医学的な分野で、男性の性機能障害研究はかなり進みました。しかし女性については、女性が性的に活発になるのを好まない男性社会が、研究にいわばブレーキをかけていたために、大分遅れてしまいました。女性の性反応が、男性のように「性欲→勃起→射精」と単純には説明できないため、研究しにくかったという面もあります。しかし女性の性反応の複雑さに挑んだ研究者たちのおかげで、女性の性機能を評価するFSFIなどの問診票などができて、かなり客観化できるようになりました。また女性の性機能は、メンタルな要素を抜きにしては語れないのですが、性欲、興奮、オーガズム、そして痛み、と言った大きな機能障害以外にも、持続的性喚起やオーガズム後の不快症状、など様々な障害が新しく認識されるようになってきました

学会をはじめとする機会を通じて多方面へ性科学に関して発信してきている大川先生ですが、性科学に興味を持つ専門家がまだまだ少なく苦心されていると傍から感じております。

遠方からの受診は大変で諦める人も多いですから、地方の先生を紹介してあげたいですね。セックス・セラピストを増やすのも日本性科学会の「認定制度」の目的ですが、実情は各県に一人もいないんです。地域や学会で講演すると共感する人は多いけれども、「私もやろう」という医療者はなかなかいません。勤務していた千葉医療センターで長くセラピーをやっていましたが、弟子は育たず「セックスの相談は大川先生に診てもらって」というスタンスで終わってしまいます。

もちろん、たまに「セックス・セラピーは大事だし、ぜひやりたい」という人がいるので、性科学会の活動も成り立っているのですが、裾野が広がっていかない理由は色々あります。まず、セクソロジー(性科学)が学べる大学の学部学科が日本にはひとつもないんです。セクソロジーは医学とは限らないけれど、心理学、社会学、色んな切り口があるはずなのに、ちゃんと看板を掲げていません。外国にはいっぱいあって、欧米の先進国だけかと思ったらメキシコ(失礼)にあるとか、羨ましいです。
勉強する大学がないということは専門的な研究の場も無いということです。大学などで研究しようとしても、科学研究費も取りにくいですね。大学で研究者がいないことの理由に、「性科学が専門では教授になれない」と言った人もいます。

医療として広まらないひとつに女性の性機能不全が保険適用外というのもあるのではないでしょうか。

医療保険が使えないのは、「性機能障害」は厚労省で決めている保険診療の適用外だからです。勃起不全も対象外なので、バイアグラも自由診療です。
日本の国民皆保険制度は、誰でも安く医療を受けられる、良い制度だと思いますが、必要なのに健康保険の対象にならない疾患や治療もあれば、必要と思えない医療費も少なくありませんね。

今年は不妊症の医療費を保険の対象にすることになっています。少子化対策ということですが、少子化の原因はそんなことではないですよね。もちろん不妊治療を受ける人には有り難いでしょうが、性機能障害も病気と認めて保険医療の対象になれば、セラピーをする医療者も増え、受診もし易くなると思います。

性機能障害をなぜ医療保険の対象としないか、という点で、やはり性についての偏見があると思います。さらに性の健康、特に女性のSRHR(性と生殖の健康と権利)に関しても、もっと公的な配慮や支援があっていいと思います。避妊ピルの認可は世界中の国々の中でも後ろから数えたほうが早いくらい遅れたし、経口妊娠中絶薬はまだ認可されません。妊娠中絶について、堕胎罪があるということや、実際に妊娠中絶を合法化している「母体保護法」も、女性の身体の自立という視点がありません。こうした背景では、医学、医療も保守的で、性の権利に鈍感になっているように思います。
日本のジェンダー・ギャップ指数(国連)が120/156位(世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数2021」による)であることも、こうした事例の総合点として成り立っているのですね。

挿入障害は精神疾患のひとつなので、精神科、心療内科、心理士のいずれかが診ることになると思います。先生ご自身はセックス・セラピストであるので婦人科診察とカウンセリングを両方やっていらっしゃるかと思うのですが、多くの現場の実情はどうなんでしょうか。

日本性科学会でセックス・セラピストの認定を受けた人は、婦人科、泌尿器科、精神科の医師、看護職、心理職などがいますが、多くはそれぞれ独自でセラピーをしています。中には医師が心理職と共同でしている人もいますが、両方ともセラピストの認定を受けているわけでは無いようです。いずれにしても 人数は二桁にとどまっています。
日本では心理の人はセックス・セラピーをあまりやっていないです。じゃあ精神科や心療内科の医師はどうなの?というと、もっとやっていないんですよね。それがどうしてわかったかというと、名古屋での日本性科学会(2018年)の学術集会で、大会長の杉山先生が、日本の大学の婦人科、精神科、看護、社会学など性科学をやりそうな学科を選んで、アンケート調査した結果を発表しました。「性科学」の講義について尋ねたのですが、精神科や心療内科からはほとんど回答がなかったんです。それで、やっていないことが分かりました。大学心理学の教官である日本性科学会会員も「大学の心理学教室では性科学は教えてません」とおっしゃっていました。フロイトが知ったら嘆くでしょうね。

他国では、メンタルな治療が必要な場合、心理職の方たちと連携がとれている感じなのでしょうか。

そうだと思います性の健康世界学会の発表で見ると、アメリカでもカナダでも精神科、心理学科、あるいは性科学科で研究・診療されています。研修プログラムもあるので。そういうところに行って勉強できるといいですね。

性の健康世界学会のメキシコの大会(2019年)で「セクシュアル・プレジャー宣言」が出されました。日本に限らず、世間一般にあまり語られなかったセックスの快楽について、改めて定義されたのは、とても素晴らしいことだと感じています。日本性科学会や一般的に日本において、性の快楽についてはどう受け止められていると先生はお感じですか。

性の健康世界学会が2005年に出した「モントリオール宣言(性の健康宣言)」にもすでに「セックスを楽しむことは性の健康の要件だ」とあります。それを更に進めて「セクシュアル・プレジャー」を前面に出してきたのは凄いなと思う。人間にとっての性の本質は楽しむことなんです。(動物にとっての性の本質は生殖)
日本でこれをどう受け止めるか、特に性教育でどう指導するか、初めは心配でした。でも特に女性にとっては、性の権利とともにしっかり受けとめて欲しいです。性教育では、性の危険なことばかり教える傾向があります。「楽しむ」と言ってもこれは二人で楽しむことであって、一方だけ楽しんで、他方は我慢するのではありません。そういう意味で、楽しむことは「性の権利」と同じことです。
性暴力をなくすための大きな課題は「性交の同意」です。でも同意は、自らが楽しむのでなければ意味がありません。日本の女性で「セックスしたいわ」とちゃんといえる人はどのくらいいるでしょうか。私の英会話の先生がパートナーである日本人の女性に「僕はセックスをしたいんだけど、君はどう?」と聞いたら、「そんなの私に聞かないで」と言われたって。つまり、「自分に答えさせないでよ」ということです。だから、「嫌よ嫌よも好きのうち」になっちゃったりするんではないかと思います。聞かれた時にYESさえ言えないのに、「同意の無いセックスは性暴力」って言われたら、男性も困っちゃうじゃないですか。「私、いいセックスしたい」って言いなさいよって、思いますけどね。
逆に男性にとってはセックスは即楽しむこと、という文化があると思います。ネット社会では全て快楽と言ってもいいでしょう。これを「一緒に楽しむ。それぞれが楽しむ」ということに切り替えるのは、大変な意識変革が必要だと思います。

取材後記

こばやし

性科学という学問の分野が不在であるがゆえに、進まない性に関する治療。そして性科学は医療の分野だけに限らず、心理学、社会学などにも及ぶことがわかりました。性科学が浸透すれば、医療や各分野の学問が発展するだけでなく、人々の性に関する理解も変わり、それは性機能不全の保険化にもつながるのかもしれません。近い将来、いくつもの大学が性科学/セクソロジーを取り入れて、そしてそれを学んだ多様な専門家が生まれ、社会が変わるのかもしれないという希望を持ちたいと思います。

日本性科学会で大川先生が登壇するお話を何度も聞き、書かれた論文や本を読み誕生したFuanFree。そして今回ふあんふりーのためにたっぷり2時間お話をして下さったことは、今後に必ず役立てたいと思います。

回答・監修:日本産科婦人科学会専門医 大川玲子

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